はじめに
私、西田勝一はこのたび神岡鉱山に長年勤続されていた故木田末男氏の神岡鉱山産鉱物標本一式をご子息から譲渡していただきました。
益富地学会館でのアマチュア企画展展示として公開できないかお願いしましたところ、快諾していただきました。一部西田所蔵標本も合わせて展示しております。
私と神岡鉱山の出会いは、大学生時代(1990年頃)に遡ります。当時、日本で金属鉱物結晶を産する鉱山のほとんどが閉山し、鉱山を訪れて石を手に入れる機会はほぼ失われていましたが、神岡鉱山は健在で探査課で鉱物標本を販売しているという情報を得ました。そのような夢のような話を放っておけるはずはなく、すぐに神岡鉱山に電話をして申し込みをしました。
鉱山を訪れると、施設が稼働し、人の動きがあり、稼働中の鉱山の空気に感動しました。最初事務所に申し込みをしている旨を伝えると担当の探査課の方がお見えになり、別の場所にある専用の小屋に案内されました。その小屋(現在は取り壊されています)に一歩踏み込むと、まさに夢の世界。煌く水晶や魚眼石の結晶がところ狭しと置かれており、最近出たものが中央の机の上にまとめて置かれているという状況でした。採鉱課の方々が先にガマの良いところを持ち帰り、探査課はその後塵を拝するか、それとも採鉱課の方々が気づかなかった鉱物をサンプリングしてきたとのことです。
神岡鉱山の銀鉱物の標本が世に知られるようになったのは、この時の探査課Hさんの功績が大きいです。当時脆銀鉱や輝銀鉱の結晶標本が出ている最中で、銀鉱物結晶を持っていなかった自分にとっては、銀鉱物が入れられた目の前の含水爆薬チタマイトの段ボール箱が夢の宝箱に見えました。
標本には値札がついておらず、買いたいものを集めて、恐る恐る値段を聞くというスタイルで、当時学生であった自分にはリーズナブルな値段で提供してもらえました。
色々な採集行の帰りに立ち寄るなどして3回ほど行き、行くたびに新しい標本に出会ったとても楽しい記憶があります。
時は巡り2016年、今回の木田末男さん標本一式を譲っていただく話がまとまりました。私の生まれ年である昭和45年の新聞の包み紙が多く、それ以前に産出したものであることが分かります。
昔はより大きな晶洞が開いたという情報を聞いていましたが、確かに閃亜鉛鉱結晶は巨大で、方解石や魚眼石などの脈石鉱物結晶の大きさも、1990年頃手に入れた標本よりも大きく素晴らしいものばかりです。
大きさだけではなく、結晶面の整った良いところだけの標本が多く、木田さんのセンス溢れる素晴らしいものばかりです。
鉱山は閉山していますが、過去の産出品を今でも標本市場で見かけることができると思います。
GSA開催に合わせて神岡鉱業所ブースで鉱物標本販売が行われることがあり、一部鉱山からの標本供給があります。 |
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